妊娠10ヶ月、いざ出産へ

計画出産へ

大学病院での検診に至る経緯はこちら(妊娠8ヶ月 大学病院での検査)

その後は検診を重ね、腎臓の影は大きいものの切迫早産をするほどではないという診断を受けつつ10/25、妊娠9ヶ月(35週5日)で想定3,000グラムとかなり大きく育っていました。個人差はかなりありますが、平均的には2,500グラムぐらいなので平均より2週〜3週ほど早いと先生からは言われました。腎臓が悪いけどすくすく育ってるので嬉しかったです。37週を超えると正期産の時期になるので、とにかく37週をすぎて欲しいと毎日願っていました。

正期産とは

妊娠週数は最終月経開始日を妊娠0週0日として数え、妊娠40週0日を出産予定日と呼びます。ただし、出産予定日はあくまでも目安です。妊娠37週0日~41週6日の間の5週間の間にお産があることを「正期産」といいます。この時期に生まれた赤ちゃんは、体の各機能も十分に成熟しているので、母体の外での生活にもスムーズに適応することができます。

たまひよHPより

そして、11/7、妊娠10ヶ月(37週4日)の正期産の時期に入ったあとの定期検診でのことです。

先生
先生

このまま予定日まで待つと4,000グラム超える可能性が高く、頭のサイズも大きくなるので、少し出産が困難になるかもしれません。37週も超えていますし、2週間程前倒しで計画出産しましょう。

パパママ
パパママ

腎臓が悪いことも影響していますか?

先生
先生

いや、ただただ大きいだけですね

パパママ
パパママ

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流石に笑いましたが、水腎症が発覚した8/18(妊娠7ヶ月、26週)から約3ヶ月の間、無事に生まれてきてくれるのだろうかという不安な日々を送ってきたので、無事に産まれて来てくれそう、しかもビッグベビーで!となると喜びが大きかったです。

11/11 出産前日

計画出産に向けて11/11(妊娠10ヶ月38週1日)に妻が入院しました。私は長男が産まれて初めて、長男と二人で留守番をしました。長男はお兄ちゃんになる自覚が芽生えてきたのかママがいなくてもぐずることなく、私と二人で元気に過ごしてくれていました。出産に向けて不安なママに元気を出してもらうべく、長男と二人で応援動画を撮影して送りました。長男は大きな声で「ママ頑張れー!」と応援できました。出産する大学病院は15歳以下の子供はお見舞い等でも入れないルールになっているので、翌日の出産日には長男は祖父母(私の両親)と一緒にお留守番です。

11/12 出産当日

11/12(妊娠10ヶ月38週2日)遂に計画出産の日。当日は朝の7時ぐらいに私の両親が来てくれたので家のことを諸々引き継いで、長男を預けて早めに家を出ました。陣痛が始まるまでは病院に入れないかと思い、病院近くの家電量販店へ。私の目当てはパナソニックさんのジアイーノです。


産まれてくる次男のために少しでも家の空気を綺麗に保ちたいと思い、流行り始めた頃であまり持っている人もいませんでしたがチェックしていました。

パパ
パパ

子供が産まれるので検討しているんです。10万円越えですがやはり良いんですかね。

店員
店員

新生児の方がいるご家庭でもご購入される方が多いですよ。オムツなどの臭いは無くなりますし、除菌効果もあるのでお値段は少々張りますがおすすめです。

パパ
パパ

なるほど。確かにおむつ換えの時の匂いとか結構しますからね〜

10時30分ごろに陣痛誘発剤(陣痛を発生させる薬)を打ち始めるよ〜という妻からのLINEを受けました。

パパ
パパ

あ、もうすぐ産まれるみたいなのでまた来ます!

店員
店員

え?え?・・・今からですか?
が、頑張ってください〜。汗

その後、無駄にダッシュで病院に向かいました。

病院に着くと、

ママ
ママ

やっほー。元気?

走ってきたの?

パパ
パパ

いや、元気?はこっちのセリフ(息切れしながら)

誘発剤打ったらすぐに産まれるのかと思って。

ママ
ママ

少しずつしか打たないみたいで、今は全然なんともないよ。

(お菓子を食べながら。)

パパ
パパ

そうなのか。じゃ俺はコンビニ行って買い出しに行ってくる

長男の出産の時は深夜0:30ぐらいに陣痛が来て、急いでタクシーで病院に向かいそこから16時ぐらいまでの長丁場だったこともあり、妻と私の分の食料を先に買い出しに行きました。体力勝負なところもあるので、ゼリー飲料や飲み物、おにぎりなんかを買ってきました。

その後、二人で軽く食事を取りつつ、のんびりしていました。助産師さんたちも

助産師
助産師

お二人目ですよね。パパも慣れてるみたいなので、何かあれば呼んでくださいね〜

と言い、本当にたまにしか見に来ない感じでした。

16時前ぐらいになり、このままだと夜になってしまうこともあり、誘発剤の量を増やしました。そうするといよいよ妻が産気づいてきました。苦しむ妻の呼吸に合わせ、背中を押すということを続けました。よくテニスボールを使って押してあげると良いと言われますが、長男の時は病院でテニスボールを用意してくれていたので、今回もあると思って持ってきていませんでした。今回の病院ではテニスボールが無かったので、必死に手で押し続けました。

いよいよピークになってきたかなと思いましたが、やはり看護師さんや助産師さんは来ません。

長男の出産時を前回を思い出すとこれはもうすぐ産まれるな!と思いナースコールを鳴らしました。

・・・来ない!

すかさずナースステーションまでダッシュ!

パパ
パパ

産まれますので早く来てください!

助産師
助産師

あ、はいはーい。今行きまーす。

そして、見に来てもらってすぐに

助産師
助産師

分娩室に移動しましょうね〜

分娩室へ移動し、分娩台に登ろうとしたその時!

破水!

助産師
助産師

破水しちゃったね〜。早く分娩台に登って!

焦る助産師さんたち・・・

パパ
パパ

(いやいや、だから早く来てって言ったじゃないですか・・・)

分娩台に登った妻はいよいよピークへ。

・・・3分後

産まれました!

2回目だからなのかは全くわかりませんが、出産の上手さランキングがあればかなり上位に入れるのではないかと思うぐらい上手かったです。もちろん本人は死ぬ思いだったと思いますが、本当にお見事でしたし、よく頑張ってくれました。何度見てもこの瞬間は感動です。この記事を書いている今も涙が浮かんできます。

産まれてきた我が子を抱っこさせてもらいましたが、なんだか血色が悪く黒い。明らかに体が悪そうな感じ。これまで、水腎症と言われてきましたが現実感がありませんでした。この時、もしかしたらこの子元気じゃないのかもと思ってしまいました。でも産まれてきてくれて、泣いてくれてありがとうという気持ちでいっぱいでした。
ちなみに、52cm 3,884gと2週間早めたのに中々の体重でした。ただ、これは腎臓内に水が溜まっていたので重かったみたいです。
そんな感動もつかの間、すぐに立ち会っていた小児泌尿器科の看護師さんに連れられ、保育器の中に。保育器内では心電図を図る機械をつけられ、色々と検査に向けた準備をされていました。その後すぐに回復期病床(GCU)に連れていかれ、もうその日は会うことができませんでした。妻を1人残し私は帰宅。長男と感動を分かち合いました。

次回は産後5日間の生活に続きます。


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